リンク格差社会 ~ウェブ新時代の勝ち組と負け組の条件~ (マイコミ新書)
世界一やさしい問題解決の授業―自分で考え、行動する力が身につく
本書は、米国GE社のネッド・ハーマン氏が開発した、脳の優勢度から人間を分類し行動分析をする手法を分かりやすく解説したものである。元々の目的が創造的な組織の構築を目指すものであったことから、日常の仕事に非常に生かせるものである。多かれ少なかれ、企業に勤めた人であれば本書のような体験をしたことがあるだろう。企業が大きくなれば、なおさらである。本来の業務の目的とは別に、人間関係や利害関係、私利私欲といったものが絡んでくるから、どうしても違ったタイプの人間や抵抗勢力とは交わりづらい。これがスポーツであれば、「勝てない」というはっきりとした現象で目に見えてくるが、企業はそれでも案外廻ってしまうものである。だからこそ、なかなか縦割り組織は消えず、有機的な組織は構築されない。最近の流行は、横断組織のプロジェクトを組んで業務を進めていくというやり方があるが、これも”ただ集まる”という結果に終わっているケースが多いのでは無いか。
大事なのは、本来の目的に対してベストな方法を導きだすことである。この為に自分の能力を最大限に生かし、違った特性を持った人間と有機的に融合しなければならない。自分もそれは常に意識しているものの、気がつくと人を選んだりしているものである。本書が常に傍らにあり、みんながそれを意識すれば、きっと強い組織が出来るに違いない。
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そして本作は、またもやその数学を軸に組み立てられた物語。この物語を読んでいると、遍く学問は、アプローチが違うだけであって目指しているところは同じなのではないかと感じる。結局は人間が組み立てている学問であって、人間か自分たちのことを知る為に学問は存在するのだろう。そのくらい、物語中の数学は自分が想像している数学とはかけ離れたものだった。
東野圭吾氏の作品は、近年記憶に新しいところでは、殺人者と家族のその後を描いた『手紙』など、斬新な切り口が多い。この物語もまた、そんな氏ならではの視点で描かれた、他には無いミステリー小説である。
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さすがに数万という死体を検死した筆者だけに、死について語る口調は驚く程ドライで、あまり感情を込めては描かれていない。一般の人間には面食らう部分であるが、逆に死の周りにあるドラマや背景については、筆者の考えを盛り込んでウェットに描かれており、そのギャップに徐々に引き込まれていく。特に、自分も大学の卒論で取り上げたことのある脳死について触れられている点は興味深かった。改めて、生と死の境界線について考えさせられるところである。
タイトルにもなっている「死体は語る」という言葉通り、本書を読んでいくことで、死体を通じて生きている人間のまた違った側面が見えてくる。
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すべてが計画されているような、無計画であるような、連続殺人事件。過去の作品が、どちらかといえば人間の英知が意図的に生み出した事件であるのに対して、今回はどこか幼稚で場当たり的な事件を感じさせる。もちろん、最後にその全容は明らかにされるわけだが、どこかスッキリしない感が残る作品でもある。それは、事件のトリックに関してではなく、きっとその人間臭さになんだろう。
今回は本当に”人間”が主人公で、京極堂シリーズお馴染みの妖怪の存在感は薄い。きっと「邪魅」は、人間の心に棲みつき、蜃気楼のような幻影を人間に見せてしまうのだろう。
あるところ、今までのシリーズの中で一番怖い話と思えた。
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本書は、アローズが掲げるCSへの取り組みの本気度というのが伺いしれる。今日日、「顧客満足度重視」を掲げない企業は無いだろうが、その一方で顧客である我々の満足が、大きく向上したかと言えば、疑問を感じざるを得ない。偽造のTV番組が作られたり、賞味期限切れの商品が売られたり・・・。もちろん、一部では本気で取り組んでいるのだろうと感じられる企業もあるが、直接的に我々が満足を感じる場面というのは、まだまだ少ない。
その中で、ユナイテッドアローズは"販売"という最も顧客と接点のある場面において、その品質向上への取り組みへの情熱が感じられた。現場の末端までこれが浸透しているかどうかは、当然分からないし、本書の中でアローズ役員も「まだまだ浸透しきれていない」と認める。しかし少なくとも、"販売"にかける人件費を、"コスト"という見方をしていない点が素晴らしい。
「顧客満足度」が関わる職業に就く者にとって、モチベーションとなる一冊だろう。
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文章自体は、氏の2作目ということもあって、荒削りな印象が否めない。ただ題材が題材だけに、それが青春の青臭さのようなものを引き立てている。そして青臭い自分に語りかけるように言う。『ゆっくり歩け、水をたくさん飲め。』と。
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しかしかなりリアルに描写された、新興宗教、警察組織の摩擦やマスコミとの関係は、緊張感があって十分に楽しめた。本の厚さほど、長さは感じない。
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思想的な善し悪しはさておき、言いたいことは良く理解出来るし、共感する部分も多々ある。私も1ヶ月ほどイギリスに住んでいた経験の中で、筆者と同じような体験を何度かしたし、同じような想いを抱くことがあった。現代社会におけるモラルは、最早急速に崩壊へ向かっているし、それに対しては最早対処療法的な処置では、歯止めが利かないことは明らかだ。その点において、本書は日本人の特性を良く捉えた「そもそも論」を的確に付いているとは思う。
さて、阿部首相が提唱する「美しい国」で、果たして世界に誇れる日本の国家像は、再構築されるのだろうか。施政方針演説を聞く限りでは、あまり具体的な国家像は見えてこない。それに比べれば、本書で提唱される内容の方が、日本人としては具体的なイメージを持てると思う。
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スポーツをやっている以上、常に勝敗がついてまわり、特にプロスポーツともなれば、とりわけひたすらに勝利を求められる。これは残念ながら抗いようのないことだし、事実、何かを”成し遂げた”者にしか到達できない境地があり、常にそれを目指すアグレッシブさを、オシム氏も選手に求めているのが、本書ではよく伝わってくる。
しかし、時にトリニダード・トバコ戦を前にしたように、『負けた方が良い。』といった発言をする。これは、私が推測するに、『勝負は時の運。勝つこともあれば、負けることもある。勲章という意味での差はあるが、自分の持てる力を100%出し尽くしてやった結果には、勝ちにも負けにも、大きな差は無い。勝ったあとも、負けたあとも、人生は続いてくのだ。目先の勝利に、一喜一憂するものではない。』と言ってように聞こえた。これは、祖国分裂、妻との生き別れという中でもサッカーを続けなければいけなかった、オシム氏の苦労の半生を慮れば、非常に重い言葉として、心に響く。トリニダード・トバコ戦といえば、ドイツW杯で惨敗した日本代表の、再始動試合として期待されたゲーム。周りは勝利で、悪夢を忘れ去ることを願っていたゲームだった。オシム氏は、「まぁその前に、一戦一戦をじっくり味わおう。苦い敗戦も、それもまた人生の中では味わわなければいけない味だ。サッカーに負けたところで、殺されるわけではない。次に、同じ相手を倒す楽しみを、また味わおう。」と、メディアを通して全サッカーファンに伝えているように聞こえた。本書を読んだ後だったからかもしれないが。
更に本書を読んで思うことは、オシム氏の元での中田英寿を観てみたかったということだ。ここまで書いてきたような、基本的な考え方は、「nakata.net」で伝わってくる彼の考えと、非常に近いものを感じる。ただ唯一の違いは、オシム氏はその想いを、巧みに言葉に置き換え、行動に起こし、少しずつでも周囲に浸透させていく力を持っていた。中田英寿は、立場の違いこそあれ、その手段を持ち合わせていなかったのは事実だ。彼がオシム氏の言葉を聞き、何を想い、何を感じ、どんなプレーで我々観客に還元してくれるのかを観られなかったのは、残念でならない。
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